創造[Sōzō] - 独自の新しいものを作り出すこと これは70年間、創業者としてよく口にした言葉の一つです。米山稔は2019年11月11日に穏やかに他界しました。ヨネックスの象徴である青と緑の二つのカラーの元での人生は、まさに天寿を全うしたものです。
1946年 米山稔は、後に多くの皆様に知っていただけることとなるヨネックスを出身地・新潟県長岡市塚野山で創業。戦争から生き残った後に自宅に帰り、若干22歳で一家の大黒柱として母親と5人の兄弟の生活を支えました。
戦時中の生死に直面した経験が、スポーツを通じてより良い世界をつくっていくという、米山稔の人生に新たな使命を与えました。スポーツは世界へ平和と明るい未来をもたらす文化的手段の一つです。
米山稔は、バドミントン、テニス、ゴルフ、そして様々なスポーツ用品の製造を専門とし、日本国内で自社工場を立ち上げ、ラケット、ゴルフクラブ、ストリングを巧みにかつ、こだわりをもって創り上げました。 独自の四角形状であるISOMETRIC®ラケットは、革新的なスポーツ用品の技術開発を通してヨネックスを世界的なブランドへと導きます。 過去そして現在の世界チャンピオンに輝く選手たち、マルチナ・ナブラチロワ、マルチナ・ヒンギス、ルディ・ハルトノ、桃田賢斗、大坂なおみ達は、この独創の技術により世界のトップへと導かれました。
スポーツ用品の開発や販売に留まらず、米山稔は、若者たちがスポーツ活動に触れる機会を作ることにも情熱を注ぎ、1998年にヨネックススポーツ振興財団、2008年に新潟県インドアスポーツ振興米山財団を創立。 その情熱は着実に成果を挙げており、若者たちは、現在 世界を舞台で活躍し将来を担う代表選手として認められるまでになりました。
スポーツは世界に平和をもたらします。私にはモノづくりを通じて、
世界平和に貢献することができる。そういう道を与えられたのです。
= 米山稔
その生涯を通じて休むことなく世界中を飛び回りましたが、米山稔とヨネックスは、決して創業の地、新潟を離れることはありません。米山稔は、献身的なそしてひたむきに努力をし続ける忠実な創造者、そしてリーダーでした。 私たちは、創業者のこのビジョンを称賛し、DNAとして受け継ぎ、これからも前進し続けます。
2019年11月17日